映画『ポゼッション』感想・レビュー アンジェイ・ズラウスキー監督が送る映画史に残る傑作たまごっち
こんにちは、拘泥です。今回はアンジェイ・ズラウスキー監督の『ポゼッション』です。何も知らない方は予告を観ないですぐ本編観てほしい!ので、予告は載せません。
要約
全てがイカれた超絶大傑作。笑って泣ける最強映画。不条理な現実とその創造主たる神に対する怨嗟、「映画」という歪すぎる条理の語法がそれらへ究極のカウンターパンチを食らわす。
みどころ
- 完全にトチ狂った両主演、特にイザベル・アジャーニの発狂
- 個人的恨み満載のふざけたライバル男
- 距離近すぎるポンコツ探偵
- 映画全体としての二転三転どころではない成約のないバカと狂気のふざけ切った発露
- それを煽りまくる素晴らしい音楽と美術
- 神をも断絶するその狂気に宿る「映画」の根源的可能性
こんな人におすすめ
全人類
評価
伝説
雑感
結論から言うと我が人生史に残る大傑作です。何も知らなければ今すぐ何も知らないまま観ることをおすすめします。即DVD買いました。これをスクリーン上で見れた奇跡…!!初日に観に行って若者が全然いなかった。憤り!!畜生、全員観てくれよ!!
観てて恋心のようなものを抱いた作品はいくつもあるんですがこれもそのうちの一つ。しかしこれに関しては、初めて切ないでも悲しいでも嬉しいでも怖いでもなく泣きました。ただただキチガイ過ぎて最後には泣きました。
映画全体としてあまりにもトチ狂っていて、それ毎の過剰な演出がことごとく素晴らしい。始めはヤバい音楽の割にこんな感じなのか?とか思うかもしれませんが、もうこの音楽しかないので安心してください。
人をぶっ殺すシーンも毎回最高に過剰。タクシー凸らせて死体落っことして大爆発してバイクからすっ転ぶシークエンスはバカすぎてめっちゃ笑いました。劇場で自分以外誰も笑ってなかったけど。
そして何よりイザベル・アジャーニのとんでもない狂気!地下鉄の発狂は映画史に残る名シーンでしょう。アジャーニはこの映画の撮影中毎日泣いてたそうです。そりゃそうだ…
軽くあらすじに触れると
「単身赴任から帰った夫、妻の態度が良くない。なんか他に男ができたらしいな!?家族のために仕事まで捨てたってのに!でもなんか様子が…」
っていう話なんです。これだと何がおかしいんだか全然わからないんですけども。
ミステリーかと思いきやホラーかと思いきやと、ここから色々ありまして、何言ってるか分からないからネタバレにはならないと思うので言いますが、なんだかんだで神の子の理想の子を不能にして世界の果てを迎えて終わるんですね。マジで全身に鳥肌立てながら爆笑しましたよ。こんな体験できるのはこの映画しかない。
いやニコラス・ケイジのノウイングじゃないですよ!?あんなバカなだけな映画じゃないんですよ。
この映画、実は監督が奥さんを実際に寝取られたところから来ているんですね。
どうやらその男というのがヨガのインストラクターだったらしく、それがモデルらしきキャラが見事に出てきて、そして、ああ…という。このキャラの造形もふざけ過ぎです。一言で言えばエロいレクター博士といった感じで、東洋武術の心得があるから強いとかいうアホ設定で、怨嗟丸出しで笑っちゃいます。
これを聞いた時、ジャン=リュック・ゴダール監督の『気狂いピエロ』を思い出しました。(パンフレットでも町山智浩さんが言及してましたね。てかパンフレット買ってください。)
これもゴダール監督が、最近逝去なさった女優アンナ・カリーナと破局するその時に作られた映画でして。ゴダール監督はあの映画の中で散々「あ〜女とわかりあいて〜」と愚痴りまくってます。映画全体が陰鬱であからさまにめっちゃ落ちこんでます。そして映画の中で、当のアンナ・カリーナが主演なのですが、その愛人をアレしてしまうという個人的な恨みの爆発なんですね。そんでオチはご存じの方はご存じの通り…
ゴダール監督といいズラウスキー監督といい、天才達は斯くも自分たちの(情事的な)不幸をこんなとんでもない形にしてしまう…恐ろしい…
「勝負の世界で何より大きな武器は不幸であること」と、寺山修司も言っていました。寺山修司の作品も大不幸むき出しです。自分の好きなベートーヴェンも聾という最強の不幸を背負いアレ程の人間となり、これまた好きなRadioheadも不幸な気持ちがなきゃただのボンボン。不幸バンザイ天才に降り注げと思っちゃいますよ。凡人への余波も甘んじて受け入れるので。とはいっても、カート・コバーンのように耐えられないで悲劇が起こると困るので程々のやつを…
以下ネタバレあり
キリストの前でタコを処女懐胎して神の子の子を生んでセックスしまくって人殺しまくって理想の男に育てるクソイカレたまごっち映画だったって誰が予想できんだよ!!!!!ふざけんじゃねえよマジで。あ〜大好き。
始めから何度も何度も現れるベルリンの壁に代表される断絶は、この夫婦の越境不能をずっと表していたわけですが、しかしサム・ニールまで逆にイカれ始めてベルリンの壁の崩壊を示唆してるのは興奮です。ズラウスキー監督にとって奥さんは本当にこう見えて不条理に感じ、自分も完全に同調できればという思いと、現実に無理だという事実があり、従って映画の中の自分に無理やり分からせたわけです。こういう自己の現実と創作としての映画の可能性を感じる作品、大好きなんです。
主観的に観たものとはいえ「狂気」を孕んだ自分は記号的(すなわち客観的に)に狂気を持てた訳でもうやりたい放題。ムカつくヨガインストラクターはボコボコにしてトイレにぶち込んで殺害。最高です。
最後直前、アジャーニを逃がすためにタクシーをパトカーに凸らせて(運ちゃんもノリノリ過ぎて面白すぎる)ガンガン銃殺しまくり、さっきも言った大爆発からバイクですっ転ぶ。ここホラーでもなんでもないバカなアクションでホント最高。
螺旋階段を登り天上に近づくところで、アジャーニが理想に育てたタコを連れてくるんですが、それが自分なのが何気に泣けます。目怖すぎ!!!そりゃ今すぐ殺したくもなるわ!!
して追ってきた警察に撃たれまくりアジャーニともども死にかけるサム・ニール、タコは当然無傷。神の子の子のタコなので。
この時のアジャーニの背筋えびぞり自殺がまた最高…何だその嘘ばっかな自殺…サム・ニールも死ねなかったんで飛び降り自殺。もうめちゃくちゃです。最高。しかし同時に死に結ばれ分かたれ、どこか切なし。
そしてラストシーンがもう…!!神の子の子は天上を抜けて脱出します。 そしてサム・ニールにとっての理想の妻たる先生のところへ向かうんですが、そのせいで子供が湯船で自殺!!ここで泣き始めましたね。キチガイすぎて。
ドアにへばりついて会えないタコに爆笑です。神のくせにタコだからドアにはへばりついちゃう。バカかって。
そして世界の崩壊を告げる音と光で世界が崩壊します。崩壊する世界でほくそ笑む先生で終わり。は!?!?頭クラクラ。どんだけやるんだよ。どんだけ自由だよ。どう生きたらそんなんが浮かぶんだよ。もう泣いてます。大感動です。うん、結局理想の中でも女性は度し難く、上ですわな…
「理想の伴侶であるために生まれさせられた神」なのに、その対象である女とは絶対に会わせない。機能不全にしたわけです。監督は、妻の不貞に対するカウンターとして、不倫相手をぶち殺し神をインポテンツにしたのです。「俺のモノの方が神のより全然使えるぜ!」という宣言を叩きつけるのです。かっこよすぎます。
そして何の気無しに、我々の知り得ぬところから、世界を崩壊させる。神さえ扉にへばりついてる間に。普通に生きててそんな事できますか?いいやできない。でも出来てるじゃんこの人。それをやれるのが映画なんですよ。
映画は、フィクションです。ウソウソウソ、ウソばっかです。でも「現実」さえぼやかす程「現実」に肉薄するフィクションです。でも映画の中では、思うがままなんですよ。しかし我々はとかくその凄さを見落としがちです。自分が理解できないことを理解させることができるんです。ぶっ殺したいやつをぶっ殺せるんです。神を定義しそれを超えることが出来るんです。これとんでもないことじゃありません?
そして、でも、その中でもどうしようもないことがあるんですよ!!それによって、より現実に肉薄する。そうすることで映画に代理させるこの循環構造。「映画」というモノ自体の持つ感動です。
こういった行いが僕は本当に好きでして。そうした可能性で最も凄いところにたどり着くと僕の一番好きな『エンドレス・ポエトリー』だとかいうものが生まれることになるのです…